桜川のあゆみ 考古・古代の桜川

赤塚遺跡碑、背後の児童公園に前方後円墳
赤塚遺跡碑、背後の児童公園に前方後円墳

地誌に続いて、水戸の桜川の歴史について旧石器時代から順を追って書いてまいります。

 

 先述の通り桜川は、氷河期に刻まれた深い谷の「古桜川」によって現在の形が形成され、間氷期の海面上昇で千波湖よりも奥に入江がつくられることがしばしばあった。そうしたなかで、人類の足跡も桜川沿岸に刻まれていった。

 旧石器時代後期の今から約2万年前、標高30mを超える台地上にその足跡は刻まれた。国道50号バイパスの造成にともなって発掘された赤塚遺跡は、水戸では最古の遺跡とされ、ナイフ形石器が発見されている。

 続く縄文時代草創期になると、赤塚西団地遺跡から大型の槍先型尖頭器が発見されている。この尖頭器のなかには頁岩でできたものがあり、関東周辺には頁岩は無く東北で産出することから、東北との交流があったことが推定される。このころはいわゆる「縄文海進」の時期で、入江は桜川の中流付近まで深く入り込んでいたことが想像される。

 縄文時代中期には全国的に集落の数が多くなるが、赤塚西団地遺跡からほど近い高天原遺跡には縄文土器とともに集落跡が発見され、桜川中流域には早い段階から集落があったことがわかる。同じ縄文時代の遺跡といえば貝塚だが、水戸には文献に残る世界最古の例として有名な大串貝塚がありダイダラボウの伝説が残る(実はダイダラボウ伝説と桜川には深いかかわりがあるが、後述する)が、桜川流域にも千波湖近くの柳崎貝塚や吉田の吉田貝塚が発見されている。「水戸」とは淡水海水がまじる汽水域のことを示す言葉で、貝塚のある一帯が汽水域の魚貝類や陸の動植物の幸に恵まれ、集落を形成するには好適な場所であったことがわかる。

 稲作がはじまった弥生時代の遺跡としては、下流部の吉田台地上に薬王院東遺跡、大鋸町遺跡が、上流部に向井原遺跡、大塚新地遺跡がなどがあり、いずれも集落跡と弥生土器がみつかっていて水稲耕作がおこなわれていたことがうかがわれる。

 弥生時代に集落が形成された場所は、続く3世紀後半から7世紀後半の古墳時代でも集落であった場所がほとんどで、現在の開江町の向井原遺跡には35軒の住居跡と遺体埋葬場所に土で塚を作る方形周溝墓が見られるほか、赤塚遺跡には整然とならんだ十数基の方形周溝墓がみられる。こうした集落跡と古墳がみられるということは、桜川周辺に「ムラ」が出現し、それを束ねる村長的立場の存在がいたことを示している。

 6世紀、古墳時代後期になると、桜川沿岸にも前方後円墳・円墳・方墳がみられるようになった。その中でも上流部に位置する牛伏町の牛伏古墳群は、6基の前方後円墳を含めて数多くの古墳が密集し、現在ではくれふしの里古墳公園として整備され広く市民に愛されている。また、大正3年に発見された吉田古墳は、装飾古墳の貴重な事例として国の史跡に指定された。

 この後は、飛鳥・白鳳・奈良時代を含む律令制の時代をむかえるが、桜川周辺は律令で定められた行政区分にあてはめると常陸国那賀郡(ひたちのくになかぐん)*に属した。里は奈良時代に郷に改められたが、平安時代の資料には、那賀郡には二十二の郷があることが記されており、桜川の流域は、下流から南側の吉田台地・千波町一帯を「吉田郷」、現水戸市街地上市を「常石(ときわ)郷」、見川町から加倉井町・大足町のあたりまでを「隠井(かくらい)郷」、旧内原町付近の桜川流域筋を「茨城郷」、そして最上流部の有賀町・笠間市池野辺町を「安賀(ありが)郷」の5郷が流域の行政区画となっていた。奈良の東大寺正倉院にはこの頃の戸籍にまつわる資料が残っているが、そのなかに

  常陸国那賀郡吉田郷戸主君子部忍麿戸君子部真石調布一端 天平勝宝四年十月

と記した布がある。桜川沿い吉田郷に住む君子部真石なる人物が752年に、調として布一反をおさめたことが記録されているのである。天平勝宝4(722)年という年は、実は大仏が完成し、孝謙天皇と父の聖武上皇、母の光明皇太后が開眼供養を営んだ年である。税の記録だが、律令制の完成つまり中央集権化によって、桜川沿いの地とはるか平城京が結ばれていた一つの証と言えよう。

 

*大串貝塚…後述する『常陸国風土記』(721年成立)に、ダイダラボウが貝を食べた後であるという伝説が記載されており、貝塚の記録としては現在世界最古の例として知られている。現在は公園として整備され、巨大なダイダラボウ像が設置されている。

*那賀郡…現在では「那珂」と表記されているが、当時の記録には「那賀」と表記されていた。

 さて律令国家で中央集権をはかる朝廷は、各地方に『風土記』の作成を命じます。ここにも桜川にまつわるエピソードが登場しますが、次回といたします。

 

【参考文献】

・中山信名・色川三中・栗田寛『新編常陸國誌』(明治22年初版、国立国会図書館デ

 ジタル化資料)

・源順『和名類聚抄』(現典:国立国会図書館デジタル化資料、承平年間(931~

 938)成立) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2606770

・『概説水戸市史』(平成11年)

・『水戸市史』上巻(昭和38年)

 

 

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