「水戸藩・桜・物語」ツアー前編無事終了

4月4日(金)

 かねて計画中だったプロジェクト発のツアー(原案は観光甲子園準グランプリ受賞の戸清真学園高校生企画)が遂に実現しました。

前夜の強い雨が朝方まで続き道中が心配されましたが、東京に着くとほとんど雨はあがり、現地見学中は全く雨にみまわれないどころか、素晴らしいお天気に恵まれました。

そして東京のソメイヨシノは満開から花吹雪の素晴らしいタイミングでした。

 はじめに降り立った小石川後楽園では、特別に東門を開けていただき、センター長さん直々のご解説をいただきました。ここは水戸藩上屋敷のあったところです。入口からはいるとそこは御殿の内庭につづく唐門がかつてあった場所。門を開けると来訪者が驚くような景観を体験できるように仕立ててあったそうです。偕楽園の思想の原型ともいえる陰陽の世界がここには展開されています。鬱蒼とした森の陰の世界をぬけると広がる眺望、その先には陽の木である桜が美しく咲いています。枝垂はハラハラと散り始め、ソメイは今を盛りの素晴らしい景色でした。そして池の側には光圀公時代にはあったといわれる「桜の馬場」の桜の後継樹といわれる「馬場桜」がありました。残念ながらすでに散っていましたが、往時をしのぶことができました。

 雨の後で足もとが不安な中、美しい光景にもであいました。池の奥、「大堰川」「柳堤」に見立てられている場所には小石を竹に包んだ籠目模様の蛇籠が、ありましたが、そこに桜の花びらがちりかかっていました。これは茶道具の一つ桜川釜の意匠の原型という説があります(もう一つの説が謡曲「桜川」で狂女が桜の花びらをすくう網にかかった桜というもので、プロジェクトとしてはこちらが本筋とみていますが…)散ってなお美しい桜の景色でした。渋滞で時間が押してしまったなか、ぎゅっとエッセンスが詰まったご案内をしていただけました。歴代水戸藩主が「わが宿」として愛された桜の景色をみなさんに追体験していただけました。

 小石川後楽園を後にしたバスは、東京大学弥生キャンパス・浅野キャンパスへ。ここは水戸藩中屋敷いわゆる駒込邸があった場所です。こちらでは東京大学埋蔵文化財研究室の原祐一先生が解説をしてくださいました。向ヶ岡弥生町内会の皆様もご同行。まずは弥生キャンパス正門すぐ横にある朱舜水先生終焉の地碑。芥川龍之介の小説「歯車」に登場するこの碑の話や、新渡戸稲造との深い縁など興味が尽きないお話。そして構内をすすみ、邸内の地図をみながら位置関係を確認。直木賞作「恋歌」に登場する景色のお話や、傾斜地の切通しなど地形のお話を伺いながら、一旦構内を出て言問通りへ。浅野キャンパス隅に立つ「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑のご説明。あの「ブラタモリ」でも登場した石碑と水戸家との関係は?と含みを残して、一路キャンパス内へ。最大の目的地、キャンパス内の「向岡記」碑に到着。再整備再発見の経緯も含めて深くかかわられている原先生からしっかり解説を伺いました。斉昭公の残したこの碑に刻まれた、桜咲き満つる「夜余秘」=弥生がなければ、地名としての本郷弥生町はなく、そこで発見された弥生式土器の命名もなく、ひいては弥生時代の名称も存在しなかった。水戸と桜の深く刻まれた歴史を感じる重要な石碑をみることができました。その後、立原杏所の絵に描かれた駒込邸からの不忍池の景観をイメージしながら向ヶ岡の台地をゆっくりと降りて不忍池へ。池のほとりには水戸出身の日本画の巨匠横山大観の邸宅跡。不忍池周囲に屋敷を構えた大名諸家や近代になって屋敷を構えた人々には中国の西湖がイメージされていたというお話、そして千波湖と偕楽園の作庭にも関わっているというお話は全く腑におちるお話でした。

 不忍池でバスに乗車したのちは、一路皇居前の「楠公レストハウス」へ。おいしいお昼で一服してから、銀座木村屋総本店で、お楽しみのあんぱんを購入。この日はあんぱんの日でした。

 銀座からバスは浅草を経由して吾妻橋を渡り、下屋敷小梅邸のあった隅田公園へ。ここは江戸時代初期からの桜の名所である隅田川堤と一体の場所。ちりはじめたソメイの花吹雪の中のお花見は格別でした。そしてその中でかじるあんぱん。実は4月4日は明治天皇が水戸藩下屋敷、まさにこの地であんぱんを食した「あんぱんの日」。おいしい歴史の追体験が実現できました。公園内にある明治天皇行幸碑や、幕末以降の日本人の桜観に多大な影響を与えた水戸藩士藤田東湖の「正気の歌」碑も見学。

 こうしてツアーは無事終了いたしました。

6/8(土)講演会&総会 案内はイベントページへ

水戸市民会館「水戸キャンパス100」5/15・6/19の講演案内→イベントページへ

協賛企業